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【鳩山内閣メールマガジン 第11号】普天間への思い(2009/12/17)
(略)
私がこの問題に関して、一貫して申し上げてきたことは、
1) 日本の安全保障は日米同盟が基盤であり、日米間で合意したことの重みは認識していること、
2) 移設先は県外、国外が望ましいと主張して選挙を戦い、政権交代を果たした重みも認識していること、
3) 国民の負託にこたえるために成立させていただいた連立政権を維持するためには、社民党、国民新党の意思を尊重する必要があること、
です。
この3条件を満たす答えを探さなければならないのです。これは針の穴にロープを通すくらい難しいことかも知れません。でも私は諦めていません。
(略)
この「針の穴にロープを通すくらい難しいことかも知れません」は新しい道を果敢に切り開こうとしているのだろう。
オバマ氏は「新政権が旧政権の政策を見直すのは当然のことである、自分もそうしてきた」として鳩山政権の基地見直しを一応は容認する姿勢を示した。確かに彼はこの秋にブッシュ時代に約束したチェコとポーランドの両国が合意していたミサイル防衛システム配備計画を中止しているとのこと。日本が前政権が約束したことを見直したとしてもなんら矛盾はしないだろう。
米軍に撤退してもらった例はないかとNETで色々調べたところ、1992年のフイリッピンなど色々有るようだ。用は国民や議員、議会がアメリカに向くのでなく国民に目を向けられるかどうかということだろう。 NETで見た内容なので以下の内容の真偽の程は定かでないが、「フィリピン側が米軍の「段階的撤退」を主張したときに、米国の交渉団長を務めたのがアーミテージ(当時、国防次官補)は、フィリピン側が「撤退」といったことに激怒し、「これでわれわれの関係はおしまいだ」と怒鳴り、会談を決裂させ、アメリカに帰ると脅しにかかった。この脅しに議員、国民は屈せずフィリピン上院は基地存続の新条約を否決し、スビック海軍基地とクラーク空軍基地は返還された、その広大な跡地が有効利用され雇用も増えた。その後TACにアメリカが加入したことでフィリピンと米国の外交関係は決裂していない。
国民、議員が強い意志を持てば沖縄から出て行ってもらう事が可能になる。
その意味からも決めないことを決めたというのは最高の戦術なのではないか。
電子経済産業省アイディアボックス関連の記事を読んでたら、
略
・・・「小泉内閣メールマガジン、官邸のWebサイト作成・運営費が、5年間で25億円です。そんな馬鹿高いところに頼んだ理由が「ほかに対応できる事業者がいない」」・・・
略
ということは随意契約?
どういう仕組みにするとこういう金額になるのだろうか。
さて今は?
私の生き方を伝えて欲しいとのことで、軽い気持ちでお受けした。
あれもこれもと頭の中で言葉が飛び交うのだが、いざ文章に落とすとまとまらない。
文章下手を自認する人々は多い、私もその一人で有る事を改めて痛感する。
しかし、書くということで自身を見つめられるとも感じている。
昔から日記を付ける事に何回挫折したことか。
今回は人様のサイト、続けられるのだろうか。いや続けなければいけないと自分に言い聞かせている。
「そのための準備を重ね」とはいいがたい生活を送ってきたが、なんとか脱都会を達成。
私は「不惑の年」に勤めに終止符を打つ。
「不惑の年」の意味は論語の「四十にして惑わず」とのことだが、いまだに惑ってばかりの人生。
「不惑の年」から10年以上経ち「天命を知る」年も過ぎてしまった。
家のチャイムが鳴りドアを開けると報道の取材班で、D51が緊急停車した件だった。当日の私は遠めから撮影しようと線路端でなく離れた場所からD51を待っていた。汽笛が聞こえ、煙も線路沿いの家の屋根の向こうに見えたのでカメラを構えたのだが、D51はいっこうに現れない。
しかし、マナーの成っていないカメラマンのせいとは・・・
良いアングルで取りたい気持ちは理解できるのだが、ニュースになってしまうような行為は蒸気機関車が走る本数が減る原因にもなるので是非止めてほしいものだ。